阿波リトリート

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気を送るより響き合おう

 先日、我らが大先生・野口晴哉先生のエピソードをある方からうかがいました。

 その方は野口先生の晩年のお弟子さんで、若い頃、余命半年と宣告された末期がんの方をみて「自分の施術ではどうにもならない」と、野口先生にみて頂いたそうなのです。すると野口先生はサッサッと3か所ほど背中を押さえただけで、仰向けにしてお腹にじっと愉気されました。そして癌や余命のことを何も告げていないのに、ぼそっと小さな声で「亡くなるには早いですよ」とおっしゃったそうです。その後、その癌の方は10年以上生きられたとのことです。

 野口先生の神業エピソードはたくさんありますが、直に見た人の話を聞くと改めて感動すると同時に、私たちとの次元の違いに愕然とします。同じ「整体」と言いながら、野口先生のそれは何か根本的に違ったのだと思います。

 その違いは何か。自分なりに日々模索していますが、野口先生の整体は心と身体の響き合いを使っていたのではないかと感じています。普段、私たちでも人と会うと言葉を交わす前から「今日は元気そうだな」「どこか沈んでいるな」「疲れているな」というようなことを何となく感じるものです。そして元気な人といると自分も元気に、暗い人といると暗くなってしまいます。人間の心と身体は互いに響き合うので、他人の状態を鏡のようにパッと映しとってしまうのです。

 しかし私達の鏡はエゴで曇っているのである程度までしか分からないのです。恐らく野口先生の鏡は静まり返った泉のように、濁りなく他人のことを映しとっていたのでしょう。だから観たり触れたりする前にどこが悪いかすぐにわかったのです。そして自分の静まり返った状態を今度は相手に伝えていたに違いありません。だから短時間の整体でガラッと人を変えることができたのだと思います。悟りの境地が師から弟子にパッと伝わることを禅で「感応道交」と言いますが、まさにそんな整体であったのではと思います。

 ではそこに至るにはどうすれば良いか。キーワードは「集中」だと思います。集中して集中して集中しきると、集中している自分を忘れて、見ている自分と見られている相手が一つに重なる瞬間があります。その時に、自分と相手が響き合う、「感応道交」するようです。

 時々ですが、施術の中で、骨に手を当てて集中しきった時に、骨と自分が重なって、その骨がリーンと鳴るような気がすることがあります。そういう時は、施術後、「すごく変わった」と喜んでもらえます。フーフー言って気を「送っている」ような時は、送る自分と受ける相手が分離しているので、苦労の割に効果が今ひとつのようです。野口先生の言う「相手と息一つになる」境地は未だ遥かですが、そこに一歩でも近づけたかなと思うこの頃です。

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