干し柿づくりと「こうじの木」
12月から年始にかけては乾いた空気の晴れた日が多かったので、干し柿、干し芋、干し椎茸に切り干し大根と、乾物づくりにいそしみました。
中でも今年がんばったのは干し柿づくりです。
干し柿用の、それは大きな渋柿を40個、皮を剥き、熱湯で消毒して、シュロの葉をさいたひもの両端に1つずつ結んで竿をにかけます。
このシュロひもが、使ってみるとなかなかに良いものでした。
干し柿にはシュロひもが昔からの決まりごとのようで、市場などでは渋柿におまけにつけているお店もあり、私たちが借りている畑にも小さなシュロの木があったので、今回試みに使ってみました。
渋柿が相当に大きいので、強度は大丈夫かな? と不安に思いつつ結んでみると、意外にもとても結びやすく、非常に強靭なのです。
また、11月にビニールひもで干した際には、暖冬の影響もあり、ひもの端が少しでも実に触れてしまうと、その部分の乾燥が遅く、そこから黴が生えてしまいました。
ところがシュロひもの場合、実と同じように乾燥していくので実に触れていても水分がたまらず、そして意外にも乾燥しても弱くなりません。しかも干しあがったらへたごと切り落として畑に返せるので、可燃、不燃とごみを仕分ける手間もないのです。
う~ん素晴らしい! と、一人でうなってしまいました。
さて、干した渋柿は2週間ほどで、オレンジ色でとろとろの「あんぽ柿」の状態になります。
この時点でもちろん美味しいのですが、さらに干すと茶色くしっかりと実のしまった「干し柿」らしい感じになります。濃縮した甘みは上質な和菓子のようで、今回はそれを目指すことに。
ところが、渋柿がとろっと柔らかなあんぽ柿になった頃、なんと小鳥たちに見つかってしまったのです。ベランダで「チイチイ」と鳥たちがやけに騒がしいと思ったら、そこには食べ散らかされた柿の残骸が…。
それはシュロひもで竿に干したものとは別に、取り込みやすいようハンガーを改造して3段のはしご状に干したものでした。考えてみればはしご型だと、下の段の棒が、上の段の柿を食べるためのちょうどよい留まり木になってしまうのです。
これは当たり前だと、慌ててこちらもシュロひもで結び直し、竿にかけてみたのですが…美味しい味を覚えてしまった鳥たちは知恵を絞り、竿の上からひもを手繰り寄せて柿をつついたようでした。
というわけで、もう少し干したかったけれど、今年の干し柿づくりはここで終了。
ところで、いつもは微笑ましい小鳥のさえずりを苦々しい気持ちで聞き、なんとか囲ってもう少し干す方法はないかしら…と思案していたとき、ふと学校で習った『徒然草』が頭を過りました。
「こうじの木」という段です。
人里離れた山奥に侘びた庵を結び、趣深く暮らしている家を見つけ、兼好法師は「かくてもあられけるよ(このようにも暮らせるのだなあ)」と感嘆するのですが、その家に厳重に囲われた柑子(みかん)の木があるのを見て、「この木なからましかば(この木さえなければ)」とがっかりする物語です。
盗りに来る人すらいない山奥で、それでもみかん泥棒を警戒して厳重に囲っているあさましさ…。
でもでも、はたして本当にそうだったのでしょうか?
山奥に暮らす人が、たまの旅人にいくつかのみかんを食べられることを嫌がるでしょうか? 人懐かしい山暮らしなら、むしろ喜んであげたいくらいが普通なのでは? では囲いは何のために? それはなんといっても猿、鳥、鹿、猪です!
まったくグルメな彼らは、果物を大事に食べることを知りません。美味しい所をちょっとかじっては次の実へ…食べるならせめて大事に食べて! と怒りたくもなるものです。囲いたくもなるものです。山暮らしの悩み事は今も昔も変わらないはず。だからきっとあのみかんの木は…と大昔の誰かさんに心を通わせてみるのでした。
※一番上の写真は、神山に大雪が降った時のものです。まるで雪国のようで、美しかったです。